夢の遊眠社(野田秀樹)「半神」

2007-01-25

先に感想。ものすごくいいです。
野田秀樹をナメてました。泣きました。

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原作・脚本:萩尾望都『半神』。
脚色・演出:野田秀樹
初演:1986年 本多劇場
再演:1988年 東京シアターアプル(ビデオ化)
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80年代小劇場ブームの中心にいたと言われる劇団といえば、
鴻上尚史率いる「第三舞台」と野田秀樹率いる「夢の遊眠社」。
(もちろん、他にも偉い方々、劇団いっぱいあります)
疾走感ある劇風の表面的類似や、早稲田と東大という高学歴な出身大学、
鴻上氏が野田氏をライバル視しているとかいないとかのゴシップ的な興味も含め、
世間から注目を集めていたことは間違いないようです。

情報の出所は定かではありませんが、あるインタビューでは、
鴻上氏は「涙をふくハンカチのような芝居を作りたい」のに対し、
野田氏は「誰かの見た夢のような芝居を作りたい」と言ったとか。

第三舞台朝日のような夕日をつれて」鑑賞以来、
すっかり80年代小劇場ブームに興味を持ってしまった私。
しかし野田氏の劇団「夢の遊眠社」というオトメちっくな名前に
どうしても抵抗を感じてしまい、後回しにしていました。
名作とはいえ少女漫画を脚色した作品、しかも「誰かの見た夢のような芝居」って。
綿菓子のようなファンタジーだろうと、勝手な先入観を抱いていました。

まぁこういう先入観を私のブログで前置きした場合、
大体において「その先入観は間違っていました」とオチるのがお約束ですが、
今回もその法則に違わず、まんまとやられました。
精巧に作られた物語、巧妙に配置された伏線に、結末で思わず涙。
しかも涙ぐむレベルじゃなく、ぽろぽろ流れて自分でも驚き。
だってコレ、ビデオだよ。

たくさんの伏線が張られた物語というのは、説明が親切すぎて
大体途中でオチが分かってしまい、最後まで楽しく観られないことも多い。
逆に、伏線が複雑すぎると難解になりすぎて、終わってもすっきりしない、
感動もできない、ということも少なくない。
それなのに、ストーリーの意味がよく分からないのになぜか涙が出る、
という数少ない経験の一つになりました。

物語の前半では、全くナンセンスギャグにしか見えないいくつかの台詞が、
何度も何度も反復されて、物語の後半では重要なキーワードになっていきます。
そして最後に、そういうことだったのか、とカタルシスを感じることができます。
「巧みな言葉遊び」で定評のある野田氏ですが、
単なる言葉遊びに終わらせることなく、
一見まったく違った場面での同じ反復によって、
観客の脳内に強く印象付けていく手法は効果的でした。

美しい白痴のマリアと、賢いが醜くて誰にも愛されないシュラは、
心臓だけを共有した結合体児、というのが萩尾「半神」の設定。
そこに謎、秘密、欲望、誘惑、後悔という
5つの神話の具現化した「化け物」が現れ、
最後の神話(「化け物」の世界)にシュラとマリアを加えようとする、
というのがこの戯曲のポイントだと思います。
複雑に絡み合った神話の世界(夢)と双子の世界(現実)が、
一つの結末に向かって加速していく様は圧巻。

あと、この作品は女優がものすごく巧いですね。
もちろん男優も上手なんですけど、
いわゆるブスネタ、デブネタ、内輪ネタ以外で
客席の爆笑をとれる女優がいるというのは、
ものすごく貴重だと思います。
(男優には動きネタというのがあるからね)
野田秀樹自身の演技はじめ、全体にテンション高いんだけど、
いい具合に力が抜けていて、あまり疲れません。
主役の男優は動きっぱなし、喋りっぱなしで汗がすごかったけど、
えらく上手でした。
シンプルな装置、上の物語自体が劇中劇という設定も好き。

あー。うまく感想が書けず、歯がゆいです。
とにかく衝撃的。感動しました。

評価 ★★★★★