【備忘録】シス・カンパニー・ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出「かもめ」シアターBRAVA

「私たちの仕事、演じるとか、書くとか、そういった仕事で一番大事なことは、名声とか、輝きとかじゃない、何を夢見たかでもないわ。それはね、耐える力。運命の試練に耐え、信念を持つことなの」(チェーホフ作、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出『かもめ』2013年、大阪、引用は堀江新二訳版)


見所は突き詰めれば一つ、細分化すれば三つ。一つにまとめるならば、4幕の素晴らしさに尽きる。そして細分化される三つは、すべてこの4幕の素晴らしさに貢献している。


一つ目は、蒼井優の怪物なみに素晴らしい演技(特に4幕)。蒼井優と舞台で対になるのは、よほどの実力派俳優でないと辛いのではなかろうか。トレープレフ役の生田斗真も健闘していたとは思うが、蒼井優インパクトには霞むほど。
3幕まで、蒼井演じるニーナは女優の卵で名声を夢見ており、それが高じて田舎の恋人を捨て作家の愛人になるのだが、4幕では恋人に捨てられさしたる名声も手にしていないどさ回りの生活になる。
要は、3幕までと4幕の落差で、子供のように無邪気で魅力的だった女が、挫折によってその輝きを失い、それが二度と戻らないことを知りながらも進み続けなければならない覚悟を決める、までを演じなければならない。長台詞で、今観ると古臭い陳腐な箇所もあるのだが、蒼井優は飽きさせることなく演じきった。この演技を観るだけでも元がとれる。

# 余談ですが、大竹しのぶ蒼井優の競演は大変に見ごたえがありました。役どころも、「(かつての)大物女優」と「野心あふれる女優の卵」だしね。それから脇を固める山崎一さんの安定感。


見どころの二つ目は、装置と転換。
普段のケラ氏らしい手の込んだ装置や目を引く映像は慎重に抑制されており、オーソドックスな演出は後述するように要所のインパクトを際立たせた。開始時点での装置はやや寂しい印象で「アレ?」と拍子抜けしたのだが、2幕、3幕、4幕へと作り込んだ現代的なセットになっていくのは気分が盛り上がる。
装置転換は暗転せず、薄暗がりのなか役者自身がたたずまいを演じながらの転換。まるでそれ自体が流れ去る映像のような転換で痺れるほどセンスが良い。クライマックスの第4幕では、嵐の夜の停電を生かした照明効果を集中させて、印象的な終幕になった。


三つ目の見どころは音楽。今作の演出は3幕までの抑制と4幕の強調がポイントだが、音楽も、叩き切られるような終幕のインパクトに貢献している。
トレープレフの自殺を告げて突然終わる戯曲のぶつ切り感に、終幕の音楽(三宅純「Lay-La-La-Roy」(アルバム「永遠乃掌」内)が完璧にマッチ。前半の牧歌的でややレトロな選曲が3幕までの若者二人の「夢」のBGMだとしたら、終幕曲は芸術の道が現実となり命を絶つ者と進む者の覚悟を表現しているように感じられた。
また、この現代的な選曲によって、この戯曲が提出したテーマ(芸術を生きることを取り巻く残酷さと滑稽さ)が、現代の私たちにもつながった


ただ、いかんせん外国の昔の戯曲なので、未見の人は「かもめ」の筋書きや人物相関図は予習しておいた方がいいかも。周囲のお客さんは、「名前が覚えきれへん」「台詞が分かりにくい」「最後どういう意味やねん?」と言ってる人も。ロシア人の名前って、ただでさえ覚えにくいしね。

というわけで、満足度の高い観劇でした。この手の古典は眠いという先入観もありなかなか観る機会がないので、演出の名手が作ってくれるのはありがたいことです。