NYLON100℃「百年の秘密」@本多劇場

【一部ネタバレありなのでご注意ください】

NYLON100℃の38th session「百年の秘密」@本多劇場。まずはケラ氏自身による公演紹介文を。

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二人の女性の半生を描くつもりだ。
彼女と彼女は青春時代に出会い、友人関係を築く。とは言え、ずっと一緒にいるわけではなく、人生の局面で幾度か再会し、やがて別々に死ぬ。そんな話。これが男性同士であれば、いわゆる「友情物語」になるのかもしれない。そうなるのを慎重に避けるべく、女性の物語にしたとも言える。「女性同士に真の友情なぞ成立し得ない」などというつもりは毛頭ないが、そして私は男性であるから本当のところは判らないが、やはりどうもしっくりこないのは、「生涯に渡り続く友情」はもはやロマンの領域だからだ。女性の場合、概ね「生活」が「ロマン」を凌駕するのではないか。「友情」などという言葉ではとても語り尽くせぬ、複雑でデリケートな関係を描ければと思う。そんなドラマでこそ、二人の間の秘密、二人をとりまく秘密は深淵さを帯びるだろう。

昨年(2011年)のナイロン100℃は、映画の為に書かれた台本を脚色したモノと再演だったから、劇団への純書き下ろしとしては、一昨年の「2番目、或いは3番目」以来となる。今回はシリアス度もシニカル度も高め。覚悟して頂きたい。全力を尽くす。(公演チラシコメントより)

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●ありがちな女の友情=「女って怖いッスね」へ堕さずに女の友情を描く方法
「女の友情を描きます」と言われると、戸惑いません?大抵の作品が女の嫉妬や陰湿さを描けば「女の友情」を描いたと勘違いしてしまうのを何度も見てきました。「幼い頃は仲良しだった二人も、大人になって互いを比較し嫉妬して、時には裏切ったり助け合ったり、愛憎抱きながらもラストは大団円」なんていう手垢のついたイメージ、薄っぺらいソープドラマは見飽きている。本当に「女の友情」って、これほど型にはまったものでしたっけ?上のケラ氏のコメントを読んだときに、だから、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。

でもねー、そんな不安を抱いた私がバカでした。本当にすみませんでしたと謝りたい。こちらが予想した以上の深みをもって、女の友情を扱ってくれました。さすがは「女優を使うのがうまい演出家」。もちろん、手垢のついたイメージが皆無であったわけではないし、説明してしまえばよくある設定、さほど珍しくない物語展開だったのかもしれません。それでもこの作品が女の友情というテーマで「深度」を保ちえたのは、おそらく「女の友情そのものを描いた作品ではない」からだと思っています。

物語の軸に据えられるのは主人公二人の幼少期から死後までの「女の友情」なのだけれど、その具体的な中身を直接に描くことが徹底的に避けられている。そのような描き方ではなくて、この二人の「友情の周囲」に起こる家族の人生(上流階級家族の没落)が時間軸をテンポよく行き来しながら丁寧に描かれることによって、その「友情の周り」からこの二人の友情が照射される仕組みになっている。二人自身の出会いや裏切り、別れといった事件は語り手や登場人物たちのやり取りから推測されるのみで、二人がそこでの思いを無駄に吐露することが禁欲的に排除されている。ラストの再会と衝撃的な人生の幕引きのシーンでさえ、感情を吐露する説明的な台詞は二人の口からはほとんど語られることがない。それでも、3時間強をかけて描かれる二つの家族の人生にこの二人の友情は無関係ではいられないし、時にはその友情が家族の悲劇の引き金をひくきっかけともなっているがゆえに、観客は家族の一生+αに立ち会いながら、この二人の「友情」そのものを考えずにはいられないのです。

この描き方はずるい、とする見方もできるかもしれません。でも私は、「女の友情」という厄介な素材を扱う時の巧さと真摯さみたいなものを感じました。やはりケラさんってドロドロした内面吐露的なものをすごく恥ずかしいしダサいと思っている節があって、その都会的で洗練された感性では描ききれない素材もあるのだけど(地方出身者の上京物語とかね)、こと今回の女の友情という素材に関しては、それがプラスに働いていると思います。いま上のケラ氏のコメントを再読すると、まさに「「友情」などという言葉ではとても語り尽くせぬ、複雑でデリケートな関係(・・・)そんなドラマでこそ、二人の間の秘密、二人をとりまく秘密は深淵さを帯びる」作品になりえていたと感嘆したのでした。

●「犬は鎖に〜」「わが闇」以来織り重ねられたケラ流人生賛歌の傑作
総勢20人以上の役者が演じる二家族100年あまりの人生を描く今作は、「女性」「家族」を中心に据えて移ろう日々の美しさと悲しさを描く「わが闇」と似た雰囲気。パンフをみると、やはり作者自身も、2007年「わが闇」の変奏として作ったと明言しているほか、もともとは同2007年「犬は鎖につなぐべからず」の公演で人々の何気ない日々の移ろいを描く作品を演出したことでその後の劇作に影響を与えたとのこと(今作パンフレット:7)。奇しくも私が初めてナイロンを観たのは2007年の「犬は鎖につなぐべからず」。そういえば今作でよい味を出していた萩原聖人も、「犬は鎖につなぐべからず」に出演していましたね。

時間幅をとるという点で、今回最も画期的だったのは、時間軸の飛ばし方。時間軸に沿った流れでなく、時間を行き来する構成は珍しくないけれど、圧巻は一幕で主人公2人の死後の時点に飛んだこと。家族がだんだんダメになるのを追うのではなく、数十年後の没落ぶりを突然見せられる衝撃。主人公死なせちゃっていいの?という約束破り。観客の予想を裏切る破調にしたことで、「いったいこのあとどんな物語になるの?」「この間に何があったの?」と緊張感を保ったまま2幕まで駆け抜けられたと思います。伏線の配置と回収も絶妙。

こうした構成をとった狙いが、今作パンフレット(:8)「現在・過去・未来を移動するカメラの視点」の項で少し語られています。ワイルダーを引きながら「登場人物に寄り添う形で、なおかつ、全体を見渡していく感覚を持ちたい。(・・・)ズームに寄ったり引いたりしないで、登場人物の過去から未来への流れを、カメラが横移動で撮っている。時折りどこかのポイントで止まる。(・・・)ある人はその時、羽振りが良かったけど、ある人はどん底にいた。で、また違うポイントでカメラが止まると、それぞれの状況が変わっていたりいなかったりする」「今回ひとつ目指しているのは、観客と登場人物の状況認識の変化を大きなポイントにすることです。(・・・)「登場人物がわかっていることを観客はわかっていない」地点を通過し、やがて最終的には「登場人物がわかっていないことをお客さんはわかっている」というところで終わらせたい」。いやー、この狙いにはやられましたよ、完全に。

2007年以降観てきて、「わが闇」や「シャープさん、フラットさん」、「ノーアート・ノーライフ」もそうだったけど、シチュエーションものというよりは、一定の時間幅をとって人生悲喜劇を群像劇でみせるのが大変にうまい作家という気がしています。文学的な重さを嫌う分、ポップな演出ともあいまって、「人生」描写に抑制がきく。今作では時間幅を広げたことで、単なる成功譚でも没落悲劇でもない、勝ち組負け組といった二項対立では決してない人生の味わい深さが他昨よりも強調された作品になっています。今作パンフでも、「でも今、震災を経て、“ハッピーエンドではない最後”というのを考えるんです。(・・・)ラストはハッピーエンドでなかったけど、それだけでその人生を判断していいのか、ということですね」「今という時間とか死ぬ時の状況で、全部が否定されたり可哀想と哀れまれたりするのは違うと思えて仕方ない」(同:7)という気持ちが今作を書くきっかけになったことが語られています。

●舞台装置と映像で痺れたければNYLONに行け!
二階建ての舞台装置に映像を重ねる今回のオープニングは、「シャープさん、フラットさん」ですでに体験済み。しかし何度見ても、演劇だけでも映像だけでも実現できないポップでスタイリッシュな視覚表現は「洗練」という形容詞がぴったり。劇中でもアニメーション+照明で登場人物の心情を表現する手法がふんだんに使われていて、特に漫画のベタ塗りを思わせる墨色アニメーションは「わが闇」を思い出させてくれます。

twitter情報(豊崎由美さん@toyozakishatyou)によれば、「KERAさんは舞台に映像を取り入れた最初期の演出家ですが、今回の上田大樹さん(『TeZukA』の仕事はネ申!)とのコラボレーションはとりわけ素晴らしいのひと言。オープニングのキャスト紹介から「ほぉ〜っ」と嘆息の連発。このセンスは一見の価値あり」とのこと。(twitterの個別ツイートの引用方法がわからん;)個人的には、最初の役者紹介は少し冗長な感じがしましたが、やはり映像は圧巻でしたね。あれが楽しみでNYLON100℃を観に行ってるといっても過言ではないので、映像始まったらテンションあがりすぎてハァハァしてしまいました。

(それから豊崎由美さん(@toyozakishatyou)のツイートでは、「様々な時間の様々なシーンに連れていかれます。それらは伏線のように作用しあうので、観ているうちにだんだんといろんな事情がわかるという構成になっているわけですが、この戯曲の素晴らしい点は、だからといってすべてが説明されているわけではないというところにあるのです」という感想にも激しく同意。)

●隙のないキャスティング、抜群の安定感、強いて欠点を挙げるなら。
これはもう言わずもがななのであまり書きませんけど、NYLON100℃の役者さんたち技術の高さが光りすぎで、なんの不安もなく観ていられますよね。客演俳優も大変に良かったです。(それから大倉孝二ファンとしては、スリーピースのスーツ姿が観られた眼福といったら。笑)

強いて欠点らしきものを挙げるなら。
1)物語の鍵となる楡の木ですが、あの木が喋ってしまうのはいただけないのではあるまいか。木はあくまで人間が勝手に感情を投影した存在であって、そんな人間の営みとは無関係に時を刻む存在としてあるべきだったのではないかと。
2)1)に関連して、ほぼラストシーンで松永玲子演じるポニーが「不思議ね、私たちの喜びや悲しみを受け止めながらこの木はこれから先もここに存在し続けるのね」(超うろ覚え)的なことを言うのだけど、あぁそこは観客がそこはかとなく感じとることであって、セリフで説明しては蛇足なのでは・・・と思ったのでした。

しかし以上も「強いて挙げれば」という話。観劇後の満足感は保証いたします。オススメ。