DVD祭(鑑賞記録):「私を離さないで」

・「私を離さないで」

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原作はカズオ・イシグロの同名小説。健康と長寿を実現するために作られたクローンの子どもたちが過ごす学校生活やその後の青春と「終わり」までを描いた作品で、生命倫理とか尊厳なんかをテーマに、SFの題材を抒情的な筆致で描いた有名作、だと思います。

その映画版だけど、とてもよかった。原作の細部をとことん省いてエッセンスと空気感を追及したという感じ。正直、私は翻訳小説の長いものを読むのがあまり得意じゃなくて、原作小説を(日本語で)読んだとき、(世間の前評判とは裏腹に)いまいち入りこめなかったんだけど、映画版を観て感動をかみしめることができたというか。

もちろん、かなり細部を省いてあるがゆえにダイレクトなメッセージを受け取れたというところはあって、事件や現象の真相が描き切れていないところもあるので小説ファンにとっては物足りないものだったかもしれない。

ヒステリックで顔色の悪いキーラ・ナイトレイははまり役だったし、静かで知的なたたずまいの主人公(マリー・キャリガン)も良かった。全体に抑制された演技・演出で、黄色みの強いノスタルジックな映像で映し出されるイギリス郊外の風景が寂しく美しい。

なんといってこの映画のみどころは、最後のシーン。主人公が友人と恋人を失って、懐かしい場所を観ながらつぶやくモノローグ。これは、「クローンの人たち可哀想>_<」「自分勝手な私たち人間」「科学技術の暴走いくない!」なんていうありがちな感想に行くことを私たちに禁じる。ぐいと構図を変えてみせたこのシーンにはすっかり脱帽してしまった。

DVD祭(鑑賞記録):「告白」

・「告白」

「私にも聞こえましたよ、大切なものが消える音が。」

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こちらも同名小説の映画化。ちなみに私は原作読んでないので、ストーリーは全然知らずに観た。

いやー良かった。なんたって私は松たか子木村佳乃の大ファンなので、この二人が不気味な女教師とモンスター・ペアレントな母親を演じてるというだけで垂涎であります。あと、KYな熱血教師の岡田将生も、そのイケメンぶりばかりが注目されていますけど、こういうウザい役をやった方がリアリティがあるような気がしてしまいました。

とまぁ、キャストも良かったんですが、映画の構成が秀逸でしたね。愛娘を教え子に殺された主人公の復讐劇を観ていくこの作品、単なる善悪二項対立の復讐劇にはなっていない。「本当に誰の命も大事で貴いの?」という台詞を多用しながら進んでいくストーリーですが、本当は徹頭徹尾「命は重い」ということを伝えるために突き進んでいる物語なんだということがラストになって分かる仕組みになっている。

良かったのは、映画の中盤に挟まれる、殺した中学生やそれを取り巻く周囲の生徒たちの生育歴や家庭環境のエピソード。特に、主犯の少年が自分を捨てた母親に抱く渇望感は、「人を殺して有名になってお母さんに気付いてもらいたい」という切ない動機を観客に印象づけている。「本当はいい子」でも「根っから腐った子」でもない一人の中学生が、殺人の動機を抱くまでを描いていく。観客の「おとな」たちに、「そっか、この子にはそんな事情があったのね・・・」という共感的な気持ちを引き起こしながら。

観客はこの少年の渇望や悲しみを追体験したからこそ、ラストシーンで主人公が復讐を果たし、少年から「大事なもの」を奪った時、娘=大事なものを失った主人公の本当の痛みが分かる仕掛けになっている。冒頭で淡々と知らされる事実としての「愛娘の死」ではなく、大事なものの喪失によって世界はどんなふうに壊れるか、をより強く印象づける構成になっている。爆発のシーンの中で、少年が体験する「世界が壊れていく風景」は、娘を奪われた主人公が経験し今もその只中にいる心象風景でしょう。

もちろん、そんな事情があったって殺人を犯していいわけがないでしょ、というのが大人の常識なわけですが、語り手を次々に変えていくスピーディーな展開とミュージック・ビデオのような非現実的な映像がその常識を揺らがせていく。小説でもなく、演劇でもなく、映画でしかできない作品をみせてもらったという感想です。

いまさらだけど「パラノーマル・アクティビティ」

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北米の友人が「めちゃくちゃ怖いから!」と推していた作品、ようやく録画にて観る。

「素人がハンディカメラで撮影しました」というドキュメンタリータッチのホラー映画としては「ブレアウィッチ・プロジェクト」が記憶に新しいけど、正直、その時ほどのインパクトはなかったなぁ。

私がイマイチ入り込めなかった理由は色々あるんだけど(自宅のTVがめちゃくちゃ小さいとかw)、一番強く思ったのは、慣れ親しんだ家の構造が違うだけで、こんなにも感情移入できないものなのかということ。この物語、同棲カップルが家の中で起きる超常現象をハンディカメラで撮影して色々怖い目に遭うという設定なんだけど、広さや構造が日本ではあまりないような米国式の家で起きる超常現象に、どうしてもリアリティを持てなかった。

この手のドキュメンタリータッチのハンディカメラ・ホラーは、どれだけ観客が「自分のこととして」不審な物音やカメラに映っていない所に想像を及ばせることができるか(観客の想像こそが恐怖の源泉なので)にかかっている。低予算で不十分な映像だからこそ、観客に多くを想像してもらって恐怖を喚起しなきゃならない。その点で、観客はその世界に自分がいるかのような気分になりやすい設定のほうが有利。経験したことのある場所や設定に似ていれば似ているほど、そこで起きたかもしれない怖いことを容易に想像できるから。

多分これが日本的なマンションとか日本家屋だったら、ものすごく怖かったんだと思います。「一度は想像したことのある怖いこと」の記憶を持ち出せば、恐怖を再体験できるから。ただ、海外の家って、私にとってはやっぱり「ヨソの世界」なんだよね。

そう考えると、ブレアウィッチ・プロジェクトは設定がうまくて、「森の中」って国や地域の文化が反映されにくい場所なんですよね(多少の植生の違いはあるけれど、普段の生活からは切り離された「アウェイ」である、というのは共有できる)。だから、自分にも起きる(起きた)かもしれないこととして、すんなり感情移入しやすかったんだろうなと。

他には、同棲カップルの話なんで、二人の関係とかやりとりに気が散ってしまったというのもあり・・・なんか、こういう、のぞき見的な設定って苦手かも。ブレアウィッチは登場人物が記録のためにカメラに向かって喋ったりするから、のぞき見的感覚が薄いんだよね。

海外では大ヒット、日本ではイマイチな印象の本作ですが、上に書いたような、一見瑣末だがこの手の映画には重要な要素が海外での上映成績に影響してるんじゃないかな、と思ったりしたのでした。

映画については語れるほど観ていないので、備忘録的に。

秋以降の気になる作品

チェルフィッチュ「三月の5日間」
12/16〜23(予定)@神奈川芸術劇場。第49回岸田戯曲賞受賞作品の再演。世界27都市で上演された有名作の再演とあっては観に行かないわけにはいきません。10月チケット発売。

NYLON100℃「ノーアート.ノーライフ」
11月@本多劇場。とりあえずナイロンは外せませんよね。9月発売予定。

ままごと「あゆみ」
11月-12月@東京・横浜。高校演劇の全国大会で観て、衝撃とともに柴幸男の名前を知った作品。全国で何度も再演されてる。絶対に生で観たい。チケットいつ発売だろう?

寺山修司×蜷川幸雄「ああ、荒野」
11月中旬〜12月上旬@青山劇場。身毒丸が好きだったんで気になってる。

岡田利規 作・演出「家電のように解り合えない」
9/24〜10/2@あうるすぽっと。前衛なので不安ですが、安部公房作品の演出は良かったんで迷ってる。一般4800円。

ポツドール「おしまいのとき」
9/8〜25@ザ・スズナリポツドール、話題になってた頃に観る機会なくて気になってたので。性器を出すことで有名な劇団?てくらいしか知識ないです、すみません。前売り一般4500円。

劇団、本谷有希子「クレイジーハニー」

本谷さんの新作「クレイジーハニー」観てきました。パルコ劇場、主役は長澤まさみリリー・フランキーということで、大ハズレなないだろう、と予想していたのですが・・・残念ながら、その予想は外れたと言わざると得ません。

可愛らしいルックスと過激な毒に満ちた自分語りの作風のギャップで売れたといっても過言ではない本谷さん。しかし早晩、それだけでは飽きられてしまうだろうから、次のフェーズに行って欲しいと「幸せ最高ありがとうマジで!」の感想に書きました。本谷有希子「幸せ最高ありがとうマジで!」 - ねこに、劇場。

続く「来来来来来」「甘え」では、新たな展開を見せてくれたと思ったのですが・・・今回は再び自分語りに戻った印象。しかも極めて中途半端な形で。

完全な断絶と完全な依存?
新たな展開を感じさせた前2作とは異なり、ストレートな自分語りに戻った本作。しかしかつての「自分語り作品」と異なるのは、毒の矛先と自虐の中途半端さ。20代の頃には「私は誰とも分かりあえない。それがどうした?これが私」と痛快な自意識を表現していた本谷さんですが、本作で矛先が向けられるのは、「落ち目の携帯小説家」である主人公(これが本谷さん自身の投影だと連想しないのは難しい)に群がる「勝手で気持ち悪いファン」。

「面白いものを書けなくなった私」は、「それがどうした」と開き直るでもなく、周囲と前向きな関係性を構築しようとするでもなく、「ファンに辛酸をなめさせてやりたい」と攻撃。「ファン」とは分かりあえないままに断絶した主人公は編集者と体の関係を結ぼうとするなど「一人ではいられない」人間として描かれる。挙句、ラストには「親友」であるゲイのコラムニスト(?)が視力・聴力も失っても「私を使って面白い話を書きなさい」と人生のすべてを捧げて終幕。

かつては、自分勝手な主人公が周囲との摩擦の末に改心したと見せかけて全く改心しない痛快なまでの断絶(「遭難、」のラストのあくびは圧巻だった)が描かれてきたと思うのだけど、本作では、「誰も私を分かってくれない、ファンは身勝手、だけど私に無償の愛と奉仕をくれる人が欲しい」という子供じみた欲求が透けて見える痛々しさ。

申し訳ないけど、芥川賞を逃し、劇作でも行き詰っている30代女子の心の迷いをそのままに舞台へ載せた感は否めません。ある意味、ここまで正直に舞台に載せられてしまうのもまた才能と言えなくもないですが、20代がそれをやるのと30代がそれをやるのは大きな違い。

ストーリー展開の甘さと凡庸な空間構成
もちろん、「気持ち悪さ」の表現力については、やはり本谷さん。インターネット上のクチコミや「祭り」を彷彿とさせる「ファンの気持ち悪さ」の表現にはハッとさせられる。それから、目も耳も潰れたゲイの親友の最後の台詞が「それにしてもクソみたいにつまらない夜だったわね」というのはこの役の人物造形として魅力的だし、台詞そのものがまさしくこの作品を自嘲しているかのようで気が利いている。

それでも、謎かけや伏線なく1時間以上繰り返される「気持ち悪い光景」は、よほどの本谷作品ファンでなければ楽しめないのでは。終盤前、主人公が「私はもう面白いものなんて書けないよ」と言うのが一つの山場だとは思うけど、そこに至るまでの展開が丁寧に作られていないので唐突な印象。

それから、これは前々から書いていることだけど、何の工夫も感じられない凡庸な空間構成にはがっかりでした。(これも前二作では工夫が感じられたのに、時間がなかったんでしょうか?)やはり舞台って空間芸術だから、セットにセンスがあるだけで「上質感」が出るものだと思うんだけど。まぁこれに関しては、そろそろ諦めが入ってきました。

# 同行した友人いわく、「ハコの大きさが合ってないのでは」とのこと。セットにしてもストーリーにしても、いわゆる「小劇場」的だと。もう少し小さな劇場でやれば、もしかするとあのセットでも行けるのかもしれないけど、大きな劇場を使いこなせていないと。それには同感。

観るべきところは役者
140分という長丁場をもたせているのは役者の力。リリー・フランキーはさすがにトークの人だけあって間が上手。演技でも十分やっていけそうな感じでした。長澤まさみは蓮っ葉なキャラが予想以上に観られる演技。ただやはり上記二人はテレビの人だけあって動きが一本調子で後半つらい。

それでも、「ファンの気持ち悪さ」を余すところなく表現している小劇場系俳優の演技力がしっかり脇を固めているので、堂々巡りの展開でも一定の緊張感を持って観ることができます。今回は吉本菜穂子さんはあまり前面に出てなかったな。


20代の頃、「若い女であることを利用してます」と言い切っていた本谷さん。若い女でなくなった今後の創作がどの方向に向かうのか、少なくともあと2作程度は追い続けたい気持ちです。でももしかすると、舞台には見切りをつけて文学の方に行くのかな?ファンに投げつけた「挑戦状」とも「離縁状」ともとれる今回の作品、シンパだけに囲まれたいのか、別の境地に突き抜けたいのか、ご自身でも迷っている印象を受けました。こんなことを書けば、「あなたたちは私よりも私のことを分かっているのね!」と言われてしまうのかもしれないけれど。


#追記
実は今回、「本谷有希子」の劇を観てみたい、という友人二人も一緒に行ったのだけど、観劇ビギナーの友人Aは「面白くないのは私の頭が悪いから?って不安になった」、小劇場に見切りをつけた友人Bは「小劇場に見切りをつけたのはこういう作品に付き合うのが嫌になったから、ってのを思い出した」と。

小劇場観劇者として、こんなに残念なことはない。私、たいてい、ビギナーを小劇場に連れてきて失敗してるんですよね・・・。以前、宮沢章夫のエッセイが好きだという友人が劇も観たいというので連れてったら見事な実験作で、「二度と観劇はしないと思う」とまで言われてしまったことも。実はこれがトラウマで、あんまり人を誘わなくなった。

しかしやはり小劇場演劇(にお誘いする)というのは、相当にリスキーなものだなと痛感いたしました。私はやはり地方出身なんで、こういう「わけのわかんない作品に付き合う」のも、ある意味「都会でしかできない体験」として納得できるのかも。東京以外では、物好きな客も少ないから玉石混交な小劇団の数が少ないので。ま、10代の頃サブカル含め「文化」にアクセスできなかった田舎者の酔狂です。

面白くなかったのは私の責任じゃないし凹むことでもないけどさ、やっぱり凹むよね・・・観劇ファンとして。小劇場系(現代演劇というくくりでも)にビギナー誘うときの「鉄板」があるなら知りたい。

最近はミュージカルも。

すっかり更新が滞っておりました。

現代演劇の中でも小劇場系しか観てなかったんですが、最近、ミュージカル好きの観劇友のおかげで、俄然ミュージカルづいてます。

(1)「美女と野獣」―記念すべき初ミュージカル。
2011年1月@四季劇場「夏」。記念すべき生ミュージカル一作目。

いやー、単純に「楽しい!」。小劇場系だけ観てきた人間としては,歌やダンスが入るミュージカルは「トレーニングされた美しさ」。盛り上がるとこではこれでもかと盛り上げてくれて、何も考えずに楽しめました。

一作目だったし昔すぎて、これぐらいしか感想書けず。や、でもミュージカル食わず嫌いな人にも、「美女と野獣」オススメです。


(2)「わが星」―前衛+小劇場+ミュージカル?
2011年4月@三鷹芸術劇場。これを(1)や(3)と同じ記事にエントリーしてよいのか迷いますが、やはりあれはミュージカルでしょう。

柴幸男の岸田賞受賞タイトル。口ロロのテーマに合わせて、星が生まれてから死ぬまでを疾走感と詩情にあふれるタッチで描き出したあまりに斬新な作品。私はこれを観て、「今までに観たことがないものを観た」という激しい衝撃に、終演後の椅子から立ち上がるのが困難だったほど。

星が生まれてから死ぬまでの物語なんだけど、それはもちろん人の一生のメタファー。誰もが一度は経験した(もしくは経験したと錯覚させられる)家族や友達のエピソードをあくまで軽く透明な層として重ねることで何でもない日常を生きながら「死」へ向かっている私たちの寂しさや哀しさを実感させる手法には脱帽。ラスト、星と少年の会話の台詞には鳥肌が立ったね。

もっとも、柴さんの描く「日常」や「家族」が、あまりに昭和的・高度成長期的なのは、すでに複数の人たちが指摘するように、私も気になる。両親+子ども2人の核家族、お父さんは外で働きお母さんは家を守る。お父さんは明かりのついた「団地の我が家」を目指して帰ってくる。一体いつの話?という感じがするし、これが「普遍的な物語」と言われてしまえば「?」。だけど、それでもなお、ある種の懐かしさをもって観てしまうのは、高度成長期的「近代家族」がいかに強烈な「安定」イメージを私たちに植え付けたかを物語っているのかもしれません。

それから、星+星に住む一つの家族+その星を遠くから見つめている少年、という三者の視点が微妙にずれ重なることで、スケールが自在に行き来して物語に立体感と浮遊感を与えている。こういう「演劇」にしかできないことをさりげなくやってくれると、痺れます。

ラップを使ったミュージカルという目新しさだけでなく、客席も使った円形劇場の近接感、「青年団」的な演技とせりふ回し、リピートを多用する演出、センスの良い音や照明も楽しめます。激しくオススメ。


(3)「コーラスライン」―すべての夢追い人のためのバイブル。
2011年8月4日14時開演@赤坂アクトシアター。1970年代に大ヒットした、知らない人はいない有名作品。いやー、なめてました。古典恐るべし。ラストのWhat I did for loveでボロボロ泣かされました。

私もショービジネスではないけど一応「夢追い系」の仕事なんで、夢に向かって頑張ってる人たちの話には共感しやすいというのはありますが、何と言ってもこの作品の素晴らしさは、夢に向かってどんなに頑張っても、すべての人が報われるわけではない、ということをきちんと示していること。

落ち目になった女優のエピソードも含め、誰しも幼少期や思春期のプロセスを経て今があり、夢が終わろうと続こうと、人生を生きていかなくてはなりません。夢追い系作品の多くは、夢がかなった!破れた!というエンディングでリセットですが、実際の人生って、夢がかなっても終わっても、続いていくものなんですよね。その覚悟まで含めてのダンサーを描いたからこそ、幅広いファンを獲得する深みを持った作品になったのではないかと思うわけです。

この作品は、だから、30歳すぎてから観ると、より楽しめるのではないか。だって、その年以上になってこそ、「何かをあきらめる、それでも人生は続いていく」「夢はかなったけど思っていたのとは違った、それでも人生は続いていく」という実感があると思うので。人生の折りにふれ観かえしたい作品。これぞ名作ですね。

それから、やはりモノローグの演出や鏡の使い方が面白い。既視感があったのは、私が観てきたその後の作品にあまりに強く影響を与えているからなのだろうな、と。鏡やモノローグの使い方の歴史を勉強したい。

あと、群像劇は表現のバラエティが広げられるミュージカルの方が向いているかも、と思いました。群像劇好きなんだけど、ストレートプレイだと90分くらいで飽きる。


以上。やはり3作品まとめ書きは無理があるな・・・。そしてミュージカルは知識がなさ過ぎるのと作り方が違うので、やっぱりあまり語れないね。文献読んで10作品以上観ないと何も言えないっていう感覚。

本谷有希子「甘え」

本谷有希子の「甘え」を観てたのを思い出した。2010年の記録全くないのは、単純に仕事に忙殺されていたからです・・・(涙)。

というわけで感想も何も思い出せないので自分のtwitterから引用。

本谷有希子「甘え」観てきた。確かにこれは、今までの本谷作品とはまったく違う。タイトルと「夜這い」という素材の使い方、笑いや過激なキャラに逃げない文学的な設定と構成、面白かった。ただ、最後の台詞だけが蛇足で残念。

甘えのラスト、できればノックの音→テーマ曲爆音で終わってほしかったなーと個人的には。それ以外がすごく良かっただけに惜しく思えて。

だそうです。実は本谷有希子の公演行くから楽しみ。でも最近この人、ブンガクに資源投資してる気がして観劇者としてはちょっと寂しいんだよな。