鑑賞記録:「悪人」

・「悪人」

吉田修一の同名小説を「フラガール」の李相日監督が映画化。ある殺人事件の犯人と彼を愛する女の逃避行、引き裂かれていく家族の姿を描く。
土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎の外れのさびれた漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代(深津絵里)は、妹と二人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日。そんな孤独な魂を抱えた二人が偶然出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。だが祐一にはたったひとつ光代に話していない秘密があった。彼は、連日ニュースを賑わせている殺人事件の犯人だったのだ…」
(以上、goo映画解説より)

悪人 スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

地上波でやってたんで、特に期待もせず観る。が、予想以上の面白さでそりゃ人気なわけだよと納得。

●妻夫木さんってただのイケメンじゃなかったんですね
何といってもこの映画の見どころはキャスティングではないでしょうか。特に主演の妻夫木聡。個人的に,妻夫木聡という俳優は全然好きなタイプではないのだけど、今回の映画でこんなに演技できる人だったのかと見なおした。予告編にも使われている、女に置き去りにされてキレる瞬間のシーンの演技力には痺れること請け合い。そのほかも、深津絵里は地味だけど鬱陶しい地方の女を丁寧に演じていたし(ラストシーンは圧巻でしょう)、満島ひかりは尻軽女の嫌〜な感じを好演していた。主人公を捨てたダメ母に余貴美子、主人公を育てた貧しい祖母に樹木希林とか、出てきた瞬間にニヤリとしてしまうほどの適材適所ぶり。それから、岡田将生は甘ちゃんで自分勝手な金持ち大学生を演じていたが、この人はこういう性格の悪い役の方が断然いいよね。

●「悪人」は場所コンシャスか
このブログでは、「ストーリー展開や登場人物の行動、舞台設定において、具体的な場所が大きな意味を持っている作品」を「場所コンシャスな作品」として扱っておりますが、私はこの「悪人」も場所コンシャスな作品として観ました。それは決して、単に「九州弁だから」とか「呼子の烏賊が出てくるから」とかそういうことではない。まぁ分かりやすいのは、主人公の祐一と光代が初めて会ったときに話す台詞。光代が「小中学校も高校も職場も全部この国道沿い。私の人生って、あの国道から全然離れずにきたんやね」(記憶超うろ覚え)と言えば、祐一も「俺も似たようなもん」と答える。祐一は長崎の漁村で肉体労働につきながら出会いもなく自慢の車は近所の高齢者の病院送迎に使われていて、祖父母の介護要員として田舎の家から出ることは実質的に不可能な状態。地方都市のロードサイドや郊外、過疎高齢化の進む漁村の閉塞感(それが不幸だとは決めつけられないけれど)がよくあらわれているように感じた。

といっても、もちろんこういう描き方は画一的で平板でステレオタイプにすぎると感じる人もいるかもしれない。もっと地方は多面的で多様に描かれるべきだと。私は地方出身だけれどもう10年以上地方に暮らしていないし、地方の暮らしにリアリティを持っていない。もっと多様で多面的な地方とは、どんなものなのか全然イメージがわかない。でも、地方出身で今東京に住む人間からすると上に書いたような閉塞感は妙にリアルに感じられたのでした。

それから、「場所コンシャス」というけれど、上に挙げたような閉塞感は九州北部(福岡・長崎・佐賀)でしか感じられないものではなくて、恐らく現代の地方都市にある程度共通した閉塞感なんじゃないかって指摘もあると思う。「その場所だからこそ」と言っても固有名詞を持った場所ではなくて、大都市とか地方都市とか地方農村とかむしろ「空間」のレベルなのかもしれない。

●面白い、けど救いはない
この話って結局、不器用ながらも地味にまじめに暮らしてきた男女がせっかくお互いを大切だと思える人に出会えたのに、リア充な尻軽女と金持ち大学生の諍いに巻き込まれてその愛(のようなもの)を手放さなくてはならなくなった物語なんですよね。最後に思いがけず愛された主人公祐一がまさ相手を大事に思うがために積極的に「悪人」になろうとする展開に救いはなくて、観終わった後はひたすらに重くて悲しい気分になります。まぁ救いがないからこそのこれだけのインパクトという面もあるのでしょうが、少しは救いが欲しかったなぁなどと思ってしまいました。