第三舞台「朝日のような夕日をつれて’91」「同’97」

2006-12-14

観ました。
基本的には再演なんで、ストーリーは知ってたんですが、
配役と細部の設定が少し変わってます。

「'87」では「ワープロ通信」が小道具でしたが、
「'91」では「バーチャルリアリティ」、
「'97」では「癒しと他者(バーチャルリアリティパソコン通信)」を小道具に、
真理のない絶望の世界の表層を遊びながら、
何かに熱狂し希望を見出したい人間の祈りを表現したテーマ設定は同じ。

これで、映像に残っている「朝日」はすべて観たことになります。
やはり「'91」のバーチャルリアリティは、古さを感じましたね。
あの頃ものすごく話題になってただけに。
あと、客席の固定ファンの黄色い笑い声がうるさい。仕方ないんだけどね。

「'97」は、全体的に安定感が出た一方で、演技に勢いがなくなって、
「この作品も古典になったのかもなぁ」と思いました。
もちろんそれは、いい意味で。
やはり有名になってファンが増えれば守りに入る部分も多くなるし、
役者も年をとるから10年前と同じ演技をしろって方が無理です。

「'97」は「'91」よりは観やすい作品で、「他者と癒し」というサブテーマと、
「誰も傷つけない、誰にも傷つけられない世界」が作れる玩具、という小道具も、
90年代後半から00年代はじめ頃の空気を表してると思うし、共感できましたね。
瑣末ですが、BGMに真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」が使われてたのが嬉しかった。
高校時代、大好きだった曲です。今でも好きだけど。

すべてのシリーズを観たあとで、第三舞台の作品の鑑賞を、
「'87」を最初にしてよかったなぁとしみじみ思いました。
やっぱり、脚本家・演出家の鴻上氏の感性も、若い頃の方が鋭かったんでしょうね。
再演すればするほど、細部で挿入される流行の切り取り方、
現象の批判や分析が鈍くなるような気がしました。

本当は、初めて第三舞台紀伊国屋ホールに上がった85年版が伝説らしいですが。
でも「'87」を観たときの衝撃(生じゃないのにあれだけの衝撃!)を考えると、
80年代に第三舞台の持っていた勢いは尋常ではなかったのだなぁと思います。
その頃に生を観られる環境にいたかった。

それと、第三舞台のほかの作品数本を観ても、
正直いって「ゆさぶられた」とは思わないから、
私は第三舞台の世界が好きだというよりは、
朝日のような夕日をつれて」という作品自体が好きなんだと分かった。
やっぱ、あの作品は名作です。